文科省・厚労省・復興庁の3省庁は25年12月中旬、東日本大震災の復興施策などの一環として、東北地方の医学部新設の特例措置を設け、「東北地方における医学部設置認可に関する基本方針」を定めた。
医学部の設置は昭和54(1979)年を最後にこれまで認められてこなかったが、東北地方の大学1校に限り、最短で27年4月にも開学される。
他方、26年度「医学部入学定員」は、地域の医師確保等の対応として前年度より28人の増員が国私立大で計画されており、総計9,069人の過去最多となる。
* * *
昭和20(1945)年の終戦直後から現在に至るまで、医学部設置(医学科:医科大学含む。以下、同)と入学定員規模はどのような経緯をたどってきたのか。その推移を概観してみる。
戦前の学校制度は所謂「複線型」で、終戦時の医師養成機関は旧帝大7校のほか、官公私立の旧制医科大学、旧制医学専門学校など総計約70校に上っていた。
昭和24(1949)年には新制国立大学(昭和24年「国立大学設置法」施行。平成16年「国立大学法人法」により廃止)など、所謂「単線型」新制大学への移行に伴い、旧制の医師養成機関も整理され、新制の医学部や医科大学に切り替わっていった。
新制大学発足当初の昭和24年は、国立5大学、公立1大学、私立1大学の計7校で新制の医学部が設置された。(表1参照)
なお、設置年と学生の入学年は異なる場合がある(以下、同)。
新制医学部の設置は昭和25年に公立1大学であったが、翌26年に国立15大学、27年に公立6大学と私立12大学の計18校と、25年~27年の3年間で一気に34校に上った。
さらに昭和28年と30年にそれぞれ国立1大学、昭和39(1964)年に国立3大学が医学部設置を果たした。
その結果、昭和30年代末までに国立25大学、公立8大学、私立13大学の総計46校に医学部が設置され、新制医学部の整備が一定程度進んだ。(表1・図1-①参照)
● 東京大の“新制”医学部設置は昭和26年、「理科3類」入試は昭和37年から
ところで、大学医学部としても伝統のある東京大(旧制医学部:明治10<1877>年設置)の“新制”医学部設置は昭和26(1951)年である。
昭和24年に新制大学となった東京大では、前期課程2年を教養学部で、後期課程2年を各学部において教育が行われることになった。ただし、医学部医学科(以下、同)では前期課程2年修了者を試験の上、改めて医学専門課程(4年制)に入学させていた。
因みに、理科3類の入試を経て医学部へ進学できるようになったのは昭和37(1962)年入試からで、それ以前は教養学部2年修了者や他大学に2年以上在学し所定の単位を取得した者を対象に選抜試験が行われていた。
つまり、東京大医学部へ進学するためには、大学(1年次入学)と医学部における2回の選抜試験をクリアしなければならなかった。
なお、慶應義塾大(慶應義塾医学科予科:大正6<1917>年開設、旧制医学部:大正9年)の新制医学部の設置は、昭和27年である。(表1参照)
戦後の新制医学部は前述のような経過をたどる中で整備され、昭和40(1965)年度の入学定員は3,560人となった。
他方、昭和40年代に入ると、昭和36(1961)年に開始された「国民皆保険制度」の定着による医師不足や医療水準向上の要請などに対応し、医学部の拡充が図られた。
この時代の医学部の設置は、昭和43(1968)年は私立1大学であったが、45年は国立1大学、私立3大学の計4校、46年は私立4大学、47年は私立5大学、48年は国立4大学、49年は国立3大学と私立2大学の計5校で、昭和40年代の6年間で23校に上った。
さらに、昭和50(1975)年代に入ると国の「無医大県解消構想」(48年閣議決定)などを受け、50年~54年にかけ、国立の医科大学(単科大)を中心に10校の医学部が設置された。
因みに、54年に設置(学生受け入れ56年度)された医学部は国立の琉球大で、医学部設置はそれを最後に現在まで認められていない(後述)。
こうして医学部や医科大の設置、入学定員の増員が進められ、昭和54年までに医学部の設置は現在と同じ79校(国立42大学、公立8大学、私立29大学。昭和48年設置の文科省所管外の防衛医科大学校を除く。以下、同)になり、昭和56年度の入学定員は8,280人に達した。この定員数は“第1期ピーク”として、昭和59年度まで続いた。(表1、図1-①参照)
◆ 国立医科大学(単科大)の統合
昭和50年代に設置された医学部10校のうち、国立大が9校(単科大7校、総合大1校、医科薬科大1校)に上り、私立大は1校であった。
この国立大9校のうち、医科大(単科)7校と医科薬科大1校及び昭和49年設置の国立医科大1校の計9校は、国立大の法人化(平成16<2004>年度)を控えた平成15年を中心に、それぞれ同一県内の国立大と統合している。(表1参照)
前述したような昭和40年代~50年代前半にかけての医学部の新設ラッシュと入学定員増によって、医師数は着実に増加した。
その結果、昭和50年代後半に入ると、医師の過剰が危惧されるようになった。(図1-①・②参照)
◆ 政府の抑制方針
医師の増加に伴う医療環境の変化に対し、当時の政府は次のような政策を提示した。
また、平成9(1997)年には財政構造改革の推進方策の一環として、政府は次のような政策を閣議決定した。
◆「高等教育計画」等にみる医師養成の抑制策
文部省(当時)は、中教審答申『今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的な施策について』(昭和46年6月:『四六答申』)を受け、昭和51(1976)年度~平成16(2004)年度までの「高等教育計画」を5回にわたり策定した。そこでは、18歳人口の増減や高等教育規模を想定した上で、大学等設置の計画的整備が平成14年度まで図られた。
当計画では人材養成の分野別の考え方も示され、医師養成については、歯科医師、獣医師、看護婦(当時)その他の医療技術者、教員等とともに、計画期間ごとに次のような基本方針が示された。
① 昭和50年代前期計画(51年度~55年度)
● 計画規模・地方配置等の指標に従いつつ、医師、歯科医師、看護婦その他の医療技術者、教員養成は、計画的に整備。
② 昭和50年代後期計画(56年度~61年度)
● 医師、歯科医師の養成は整備が概ね達成されたため、拡充は予定しない。
③ 新高等教育計画(昭和61年度~平成4年度)
● 医師、歯科医師、獣医師、教員、船舶職員の拡充は予定しない。
④ 平成5年度以降の高等教育の計画的整備(平成5年度~12年度)
● 医師、歯科医師、獣医師、教員、船舶職員の拡充は予定しない。
看護職員は整備を図る必要。
⑤ 平成12年度以降の高等教育の将来構想(平成12年度~16年度)
● 医師、歯科医師、獣医師、教員、船舶職員の拡充は予定しない。
◎ 平成17年度以降の将来像
文科省は、中教審答申『我が国の高等教育の将来像』(平成17年1月:『将来像答申』)が提言した中長期的(平成17年度以降、平成27年~32年頃まで)に想定される高等教育の将来像と取り組むべき施策を踏まえ、それまでの「高等教育政策の策定と各種規制」から「将来像の提示と政策誘導」へと、政策手法を転換した。
そうした中、医師養成等については、次のような施策がとられた。
● 医師、歯科医師、獣医師、教員、船舶職員の抑制は維持。(教員の抑制は、17年度申請から撤廃)
なお、「看護婦その他医療技術者の養成等」は、大学設置審で決定。
◎ 設置認可の基準
文科省は中教審答申『大学の質の保証にかかる新たなシステムの構築について』(平成14年8月)等を踏まえ、大学等の設置認可に関して「届出制度」の導入/「抑制方針」の撤廃/設置審査の「準則化」(それまで内規であった審査基準を法令上明確化)など、設置認可の大幅な見直しを行った(15年3月)。
しかし、医学部設置等に関しては「大学等の設置等に係る認可の基準」(15年3月、文科省告示)で、次のように規制されている。
● 大学等の認可申請の審査に関しては、「歯科医師、獣医師及び船舶職員の養成に係る大学等の設置もしくは収容定員増又は医師の養成に係る大学等の設置でないこと」が審査の基準となる。
◆ 最後の医学部設置と定員の漸減
以上のような医師養成の一連の抑制策によって、医学部の設置は前述した昭和54(1979)年の琉球大を最後に、現在まで設置されていない。
また、医学部入学定員は、前述した“第1期ピーク”(昭和56年度~59年度:8,280人)の後、平成19(2007)年度の7,625人まで漸減した。(図1-①、②参照)
医師の養成が抑制されていた平成10年代後半になると、医師の不足や偏在、診療科の偏り、勤務医の過重労働など、医療環境の悪化が急速に進んでいった。特に、地域医療の問題や産婦人科、小児科、外科、麻酔科、救急などの医師不足については、早急な対策が求められた。
こうした医療問題を改善すべく、国は「新医師確保総合対策」(18年8月;以下、「新対策」)と「緊急医師確保対策」(19年8月;以下、「緊急対策」)を策定した。
この2つの医師確保対策により、20・21年度入学定員は2年間で19年度入学定員に比べ合計861人、11.3%増員された。
① 「新対策」(20年度から適用):医師不足が特に深刻な10県及び自治医科大において20年度から最大10年間に限り、各県(自治医科大含む)年間最大10人の医師養成の増員を認める。⇒ 20年度入学定員=7,793人(168人増:24年ぶりの増員)
② 「緊急対策」(21年度から適用):医師不足への抜本的な解消に向け、「新対策」に上乗せする形で全都道府県について各最大5人(北海道は15人)まで、21年度から最大9年間(公立大では、20年度からの10年間)の医師養成の増員を認める。
⇒ 21年度入学定員=8,486人(693人増)
◆“3つの定員枠”による増員(22年度~)
22年度~25年度は、「経済財政改革の基本方針2009」(21年6月、閣議決定)や「新成長戦略」(22年6月、閣議決定)などの政策に基づき、①「地域枠」/②「研究医枠」/③「歯学部振替枠」といった次のような“3つの定員枠”による医学部入学定員増が各年度で図られてきた。
① 「地域枠」:都道府県の策定する「地域医療再生計画」に基づき、“奨学金を活用した選抜枠の設定(地域枠)”を行う大学(自治医科大含む)の入学定員増。
② 「研究医枠」:複数大学の連携により“研究医養成”の拠点を形成する(学部・大学院教育を一貫した特別コースと奨学金の設定)大学の入学定員増。
③ 「歯学部振替枠」:医・歯学部が併存する大学で、“歯学部入学定員を減員”する場合、その減員数の範囲内で医学部入学定員を増員。 22年度~25年度の4年間の各枠の定員募集等の実績は、次のとおりである。
● 22年度=地域枠313人、研究医枠17人、歯学部振替枠30人、計360人増の8,846人。
● 23年度=地域枠59人、研究医枠6人、歯学部振替枠12人、計77人増の8,923人。
● 24年度=地域枠65人、研究医枠3人、歯学部振替枠0人、計68人増の8,991人。
● 25年度=地域枠39人、研究医枠9人、歯学部振替枠2人、計50人増の9,041人。
なお、増員期間は26年度(後述)も含めて、各年度とも“31年度まで”となっており、32年度以降については、当時点での医師養成数の将来見通しや定着状況を踏まえて判断するとされている。(図1-②参照)
* * *
26年度の医学部入学定員増は、22年度~25年度と同様の枠組みと期間で実施される。
◆ 26年度医学部の入学定員
各大学の26年度医学部(医学科)の入学定員数は、下表のとおりである。
◆26年度増員計画の概要
26年度の各枠組みの増員計画の概要は、次のとおりである。
● 26年度「地域枠」:各都道府県につき原則“10人を上限”(自治医科大は大学として10人を上限)とする。
*26年度増員=6大学(国立3校・私立3校)/24人(国立16人・私立8人)増
● 26年度「研究医枠」:1大学につき、原則“累積3人を上限”とする。
*26年度増員=2大学(国立1校・私立1校)/4人(国立2人・私立2人)増
● 26年度「歯学部振替枠」:1大学につき、“10人以内”とする。
*26年度増員=0人
以上の結果、26年度の医学部入学定員は8大学(国立4校・私立4校)で28人(国立18人・私立10人)の増員が計画されており、総計9,069人の過去最多となる。
なお、各大学の医学部入学定員等については、前掲の<表2>を参照されたい。
20年度から開始された医学部の入学定員増は、26年度までの7年間で累積1,444人に上る。これは、入学定員120人の医学部が7年間で12大学新設されたことに匹敵する。
ところで、医学部を新設せず、既存医学部の入学定員を増やすためには、大学設置基準に定められている入学定員数(収容定員数)や専任教員数の基準見直しが必要となる。
医学部(医学科。以下、同)の入学定員数(収容定員数)については、大学設置基準上、“原則120人”(収容定員数720人)までとされている(原則規定)。
このような原則規定を維持しつつ、前述したような「地域の医師確保、地域医療の向上」のための定員増に資するような臨時的措置や制度改正が行われてきた。(表3参照)
● まず、22年度の「地域の医師確保対策」に対応して、22年度~31年度までの10年間、「地域枠」の入学定員を増員する場合、入学定員を“暫定的に125人”(収容定員750人)まで増員できるとされた(21年、大学設置基準改正)。
● 次に25年度以降、31年度までは、「地域枠」の入学定員を増員する場合の臨時的措置として、医学部入学定員の上限を“125人”(収容定員750人)から“140人”(収容定員840人)に引き上げられた(24年、大学設置基準改正)。
近年の医学部の入学定員は、18歳人口の減少と逆行する形で増加している。
そこで、昭和30年代から現在まで、18歳人口に対する医学部入学定員数の割合、すなわち、医学部「入学定員率」(医学部入学定員数÷18歳人口。以下、入定率)をみてみる。
医師養成の「整備期」にあった昭和35(1960)年度の入定率は0.1%であったが、「急増・拡充期」の始まった40年度には0.2%となり、59(1984)年度の定員「第1期ピーク時」には0.5%まで上昇。その後、平成5(1993)年度の定員「抑制期」には0.4%にダウンしたが、10年度は0.5%になり、「臨時定員増」開始の 20年度には0.6%まで上昇した。
最近の入定率は毎年の「臨時定員増」のもと、18歳人口の増減に伴うアップ・ダウンがみられるものの、 0.7%~0.8%で推移し、26年度は昭和35年度に比べ、8倍に達している。(図2参照)
上述のように、18歳人口に占める医学部の“受け皿”が拡大したことによって、医療の質保証を懸念する声も聞かれる。
ただ、医学部入学者の質が人数に対して正規分布することを前提とするならば、入学者の裾野の拡大を医療の多様化対応に活かすなど、多様な医師養成に目を向けることも大事だ。超高齢社会を迎え、介護医療や在宅医療などの分野でも医師の活躍が期待される。
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平成23年3月の東日本大震災からの復興、超高齢化と東北地方の医師不足、原発事故からの再生といった社会的要請を踏まえ、関係3省庁は東北地方の1校に限定して医学部新設を認可することを「東北地方における医学部設置認可に関する基本方針」(文科省・厚労省・復興庁:25年12月中旬。以下、「基本方針」)に定めた。
「基本方針」は、25年11月末に文科省から「基本的な考え方」が公表され、12月初めには政府の「好循環実現のための経済対策」(閣議決定)に医学部新設の特例措置に取り組むことが盛り込まれた。(図3参照)
◆「新設構想」の提出
今回の医学部設置認可の視点は、東北地方における医学部新設の趣旨や必要な条件整備などの要件に適合しているかどうかにおかれている。
そのため、通常の設置認可手続きの前に、医学部設置を希望する学校法人・地方公共団体等は、「基本方針」を踏まえた「医学部新設構想」(以下、新設構想)を26年5月までに提出する。
◆「新設構想」の審査・採択、設置認可審査の手続き
提出された「新設構想」は有識者会議での検討を踏まえ、「基本方針」の条件等に適合し、最も趣旨にかない、実現可能性のある「新設構想」1件が26年6月に採択される。
「新設構想」の審査に当たっては、次に示す「必要な条件整備」に関し、医療政策や復興の観点から関係省庁及び関係地方公共団体の意見を踏まえて決定される。
文科大臣は採択された「新設構想」の医学部についてのみ、設置認可審査の手続きを進める(26年8月申請)。 (以上、図3参照)
◆「必要な条件整備」(留意点)
① 震災後の東北地方の地域医療ニーズに対応した教育等を行うこと
【例】:総合診療や在宅医療、チーム医療等に関する教育、災害医療に関する教育、放射線に係る住民の健康管理に関する教育等
② 教員や医師、看護師の確保に際し、引き抜き等で地域医療に支障を来さないような方策を講じること
【例】:広く全国から公募を行うこと、既存の大学や医療機関、地方公共団体等との提携により計画的な人材確保を行うこと、特に人材が不足している地域や診療科の医師の採用には十分配慮すること等
③ 大学と地方公共団体が連携し、卒業生が東北地方に残り地域の医師不足の解消に寄与する方策を講じること
【例】:地域枠奨学金や入試枠を設定すること等
④ 将来の医師需給等に対応して定員を調整する仕組みを講じること
【例】:既存の医学部の定員増と同様に、入学定員のうち一部を平成○年度までの臨時定員とすること等
◆ 教育上必要な基準等
新設される医学部附属病院の病床や診療科、医師数等については、現行の設置基準のほか、過去の基準や既存の附属病院の水準(医学部・附属病院に関する具体的な基準等は、ここでは略)も参酌しつつ、医学教育モデル・コア・カリキュラム等に定める教育目標への到達に必要な教育環境を確保することとされている。
ただし、復興という目的や設置時の地域医療への影響等に鑑み、必要がある場合には、医学教育上必要な代替措置を講じることを条件に、弾力的な扱いも個別に検討するとされている。
◆ 法令上の特例措置
文科省は、今回の「基本方針」に基づいて「新設構想」が採択された医学部に限り、特例として設置認可の対象となるよう、次のような関係省令や告示等の規定に特例措置を講ずるとしている。
◆ 他地域での医学部新設等について
● 東北地方以外での医学部新設については、これまでの定員増の効果の検証や今後の医師需給と社会保障制度改革の状況等を踏まえて、今後検討するとしている。
● 将来的な医学部定員の在り方についても、上記と同様に今後検討するとしている。
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30数年ぶりの医学部新設が、東北地方で認められることになった。
地元では、被災地の医療を担う医師の養成や医師不足の解消につながるとして強い期待が寄せられている。
しかし、その一方では教員医師の確保(医療現場からの医師の引き抜きなど)や、卒後の地元定着などを懸念する声も聞かれる。
◆ 医師数の増加
24年12月末現在(以下、同。2年ごとに調査)の全国の“届出”医師数は約30万3,300人で、22年に比べ約8,200人(2.8%)増加している。また、全国の“医療施設(病院・診療所)”に従事する医師数は約28万8,900人(総数の95.2%)で、22年に比べ約8,400人(3.0%)増加している。
他方、届出医師の「人口10万対医師数」(人口10万人当たりの医師数)の全国平均は237.8人で、22年に比べ7.4人増加している。また、医療施設に従事する医師の「人口10万対医師数」の全国平均は226.5人で、22年に比べ7.5人増加している。
医師数は増加傾向にある。(図4参照)
◆ 地域偏在
医師数の増加の一方で、医師の地域偏在が目立つ。
医療施設に従事する医師の都道府県別の24年の「人口10万対医師数」をみると、最多の京都府が296.7人であるのに対し、最少の埼玉県はその約半数の148.2人である。
また、「人口10万対医師数」の全国的な傾向としては、概して東日本は平均を下回っているのに対し、西日本は上回っている。さらに、都市部と地方との地域格差もみられる。
◆ 医療環境の急激な変化
昭和から平成時代に移り、人口減少と超高齢社会、医療福祉の拡大、医療技術の多様化・高度化などが急速に進んでいる。
こうした医療環境の急激な変化に対し、国はこれまでみてきたように、医学部新設を“封印”する中で、既存医学部の“定員増”によって対応してきた。特に医師の地域偏在については、奨学金制度とセットにした「地域枠」などで対処してきた。
今回の医学部新設の“解禁”は、東北地方に限定した東日本大震災や原発事故からの復興、医師不足対策などの一環として講じられる特例措置である。
これとは別に、政府の「国家戦略特区」(「国家戦略特別区域法」:25年12月上旬成立)における「医療等の国際的イノベーション拠点整備」といった観点から、医学部新設の動きもみられる。ただ、この動きに対し、教員確保のため医療現場からの教員医師の引き抜きによる地域医療のさらなる崩壊、教員の分散で医学教育の水準や医療の質の低下などを懸念し、問題点も指摘されている。
ところで、既存医学部によるこれまでの「地域枠」にしろ、これからの新設医学部にしろ、新卒医師を地元に定着させるためには、充実した医学教育や臨床実習・臨床研修はもとより、奨学金制度の充実や学費の引き下げ(私立大では他学部との格差是正等)といった経済的支援、地元の医療施設で地域医療から最新医療までを研修できる体制など、特色ある魅力的な医学部、附属病院が求められる。
今回の東北地方に限った医学部設置は、設立準備の時間が短く、既存の大学や附属病院を基にした設置の検討が伝えられている。
しかし、将来的には、医学部の設置は大学だけの問題に留めず、自治体や地元の産業界(企業)などによる財政支援も視野に入れた産学官連携による公設民営化の大学・附属病院といった地域ぐるみの総合的な医療体制づくりの一環として行われることも考えられよう。
ともあれ、今回の医学部新設は、超高齢社会における地域医療の今後の在り方を示す“試金石”としても注目される。