「文系出身者は理系出身者よりも高所得」などの通説を覆す調査結果をこれまでにも示してきた京都大経済研究所等の研究グループは先ごろ、大卒・理系でも高校理科の得意科目によって所得格差が生じていることを発表した。得意科目による平均所得は、物理681万円、地学647万円、化学620万円、生物549万円。今回の調査では、有所得者約1万人の平均所得は552万円。うち、理系出身者は637万円、文系出身者は510万円で、理系は文系より127万円高い。文・理系問わず、数学の学習は所得を高める効果を示しているという。
ここでは、今回の調査結果の概要などを紹介するとともに、大卒就業者の所得にも影響しているとみられている高等学校学習指導要領や必修教科・科目の変遷、大学進学の文・理系別学習など、高校教育のこれまでの実態などを踏まえ、調査結果の背景を探ってみる。
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京都大経済研究所の西村和雄特任教授らの研究グループは平成23年2月、大卒就業者の高校における学習、特に理科学習が就業者の所得に及ぼす影響などについて調査した。そして23年10月、その結果と分析を『高等学校における理科学習が就業に及ぼす影響-大卒就業者の所得データが示す証左-』(以下、『報告:高校理科学習と所得』と略)として発表した。
『報告:高校理科学習と所得』の分析は大卒就業者(有所得者)に限定して、昭和31(1956)年度実施の高等学校学習指導要領(以下、学習指導要領)該当者である昭和15(1940)年4月生まれ以降の9,987人の回答データによる。当報告では、この大卒就業者9,987人を学習指導要領の変遷(後述)に合わせ、その実施内容によって次のように3世代に区分している。
(1)“ゆとり以前”世代(昭和15年4月生まれ~昭和41<1966>年3月生まれ)=4,520人(回答者9,987人に占める割合45.3%)/(2)“ゆとり”世代(昭和41年4月生まれ~昭和53<1978>年3月生まれ)=3,771人(同37.8%)/(3)“新学力観”世代(昭和53年4月生まれ~)=1,696人(同16.9%)。
そして、学習指導要領の改訂(教科学習の比重の掛け方<必修科目数や必修単位数の増減、授業時数の増減等>)が生徒の学習、特に理科学習にどう影響しているか、さらにそれが大卒就業者の所得等にどのような影響を及ぼしているかを検証している。
具体的には、3つに区分した各世代について、高校時代の「得意・不得意教科」、「理科の得意・不得意科目」、及び「得意教科別平均所得」や「理系出身者の理科の得意科目別平均所得」などを分析している。
なお、大卒就業者の出身学部系統は、理系が理工・医薬・農学・生物系、情報(技術)系で約3割、文系が人文・社会科学系、情報(ビジネス)系、芸術・家政・食物系で約7割を占め、平均年齢はともに40代前半である。性別は、約6割が男性、約4割が女性だという。
大学就業者の高校時代における英語、国語、数学、理科、社会の5教科について、3世代それぞれで得意教科を比較している。
“ゆとり以前”世代と“ゆとり”世代では、数学の得意者が最も多く、2割台半ば~3割弱に達している。“新学力観”世代では、英語、国語、数学、社会の得意者はほぼ同じで2割前後だが、理科の得意者は1割ほどだという。
数学、理科は“ゆとり以前”世代 →“ゆとり”世代 →“新学力観”世代 と、若年世代になるほど得意者が“減少”しているのに対し、英語、国語は逆に“増加”しているという。
なお、文系出身者の得意教科は英語、国語、社会で、理系出身者の得意教科には数学、理科が多いという当然ともいえる結果も報告されている。
3世代それぞれについて、大卒就業者の文系・理系別の不得意教科を比較している。
文系・理系出身者とも、次のように若年世代になるほど英語の不得意者が“減少”しているのに対し、数学の不得意者が“増加”しているという(以下に、3世代の高年代順に当該者のおよその割合を記す)。
・「英語」不得意者の割合:
文系=2割強 → 2割弱 → 1割台後半理系=4割弱 → 3割台前半 → 3割弱
・「数学」不得意者の割合:
文系=3割台前半 → 4割弱 → 4割台前半理系=0.6割程度 → 0.7割程度 → 1割台前半
“新学力観”世代における文系出身者の「数学」不得意者の4割超えと、上記には示さなかったが、理系出身者の「理科」不得意者の3世代を通じた増加は注目されるとしている。
物理、化学、生物、地学といった高校理科の4科目について、大卒就業者(ここでは文系・理系出身者を一体としている)の3世代それぞれの得意科目と不得意科目を分析している。
まず、各世代における理科の得意科目の比較では、次のように物理と地学は若年世代になるほど得意者が“減少”しているのに対し、生物は“増加”しているという(以下に、3世代の高年代順に当該者のおよその割合を記す)。
・「物理」得意者の割合:2割台後半 → 2割弱 → 1割台後半
・「化学」得意者の割合:2割台前半 → 2割台後半 → 2割台半ば
・「生物」得意者の割合:3割台前半 → 4割弱 → 4割台後半
・「地学」得意者の割合:1割台後半 → 1割台半ば → 1割強
また、生物は3世代を通じて得意者が最も多いことや、理科4科目における得意科目の偏りが少ないのは、“ゆとり以前”世代であることを特徴としてあげている。
次に、理科4科目における不得意科目の比較では、3世代を通じて物理の不得意者が圧倒的に多く(4割台半ば~5割台半ば)、特に“ゆとり”世代では5割台半ばに達し、“新学力観”世代でも若干減少しているものの、5割を超えている。
なお、物理以外の不得意者の割合は各世代、各科目とも1割台~2割前後を示している。
『報告:高校理科学習と所得』では、以上のような分析結果から、大卒就業者の高校時代における学習状況(学習指導要領に基づくカリキュラム編成等)と得意・不得意教科、科目との関係について、次のようにまとめている。
『報告:高校理科学習と所得』は、高校時代の“学習の偏り”(得意教科・科目)が大卒就業者の所得(年収)にどう影響しているかを調査、分析している。
まず、“ゆとり以前”世代/“ゆとり”世代/“新学力観”世代の3世代における得意教科別の平均所得の比較をみてみよう。(図1参照)
英語、国語、数学、理科、社会の5教科、及び「(得意教科)特になし」において、3世代ともに、“数学の得意者が最も高所得”となっている。「数学」得意者の平均所得(3世代の高年代順。以下、同)は、724万円 → 561万円 → 414万円である。
数学に次いで、理科=708万円 → 545万円 → 398万円/社会=690万円 → 540万円 → 372万円/英語=652万円 → 477万円 → 341万円/国語=519万円 → 410万円 → 313万円と、各教科の得意者の平均所得が続く。なお、「(得意教科)特になし」とする者は国語の得意者よりも高所得(549万円 → 426万円 → 356万円)を示している。(図1参照)
文・理系出身者(9,987人、平均年齢43歳)の3世代別の平均所得は、“ゆとり以前”世代(4,520人、平均年齢52歳)=661万円/“ゆとり”世代(3,771人、同38歳)=505万円/“新学力観”世代(1,696人、同29歳)=365万円で、世代間の所得格差は、年齢差に大きく関わっていることがうかがえる。全サンプル(9,987人)の平均所得は552万円である。
上述した「得意教科別」や文・理系全体の「3世代別」平均所得のほか、理系出身者(3,206人、平均年齢44歳)の「理科の得意科目別」の平均所得も世代別に調査、分析している。
まず、物理、化学、生物、地学の理科4科目における得意科目別の平均所得は、高所得の順に、次のような状況を示している。
物理(3世代の高年代順の平均所得を示す。以下、同)=762万円 → 646万円 → 422万円/化学=728万円 → 592万円 → 408万円 /地学=708万円 → 583万円 → 393万円/生物=660万円 → 525万円 → 358万円。(図2参照)
また、理科4科目合計の3世代別の平均所得を比較すると、“ゆとり以前”世代(1,593人、平均年齢52歳)=734万円/“ゆとり”世代(1,118人、同38歳)=603万円/“新学力観”世代(495人、同29歳)=401万円で、各世代とも「文・理系出身者」全体の平均所得よりも数10万円~100万円近く高額になっている。(図2参照)
ところで、理系出身者(3,206人)の理科4科目別(3世代合計)平均所得は高額順に、物理=681万円/地学=647万円/化学=620万円/生物=549万円で、4科目合計(平均)では637万円となっている。なお、文系出身者の平均所得は510万円である。(図3参照)
『報告:高校理科学習と所得』は、上述のような得意教科・科目と平均所得についての調査結果などから、学習指導要領の改訂と大卒就業者の労働市場における評価との関わりなどについて、次のように分析している。
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『報告:高校理科学習と所得』では、前述したように高校時代の学習、特に理科学習が大卒就業者の所得等にどのように影響しているかを検証している。そして、高校時代の教科学習や理科学習の“偏り”の要因として、学習指導要領を無視できないとしている。
そこで、新制高校が発足した昭和23(1948)年度実施から、平成25(2013)年度実施の新学習指導要領(数学・理科については24年度「移行措置」)まで、各時代の教育情勢や社会的要請を踏まえ、実施上の改善策に即して改訂されてきた高等学校学習指導要領の変遷、各改訂の特色、教科・科目、単位数などの概要を以下に整理した。ここでは、全日制・普通科における“必修教科・科目”を記載した。必修単位数(合計)は( )内に提示した。選択必修の場合、最小単位数科目の単位数を集計。なお、数学と理科は必修単位数も併記。
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(1)昭和23(1948)年度実施
◆ ポイント:生徒の生活経験、生活学習を重視した「経験主義」主体の学習指導要領(試案-指導の手引き)/選択教科制と単位制の採用など
◆ 必修教科(科目):国語(国語)/社会(社会、及び東洋史、西洋史、人文地理、時事問題から1科目)/数学(解析学(1)、幾何、解析学(2)から1科目:5単位)/理科(物理、化学、生物、地学から1科目:5単位)/体育。必修6科目(38単位)
◆ 要卒業単位数:85単位以上
(2) 昭和26(1951)年度実施
◆ ポイント:教科間の不十分な連携を是正/特別教育活動の設定など
◆ 必修教科(科目):国語(国語(甲))/社会(一般社会、及び日本史、世界史、人文地理、時事問題から1科目)/数学(一般数学、解析(1)、幾何、解析(2)から1科目:5単位)/理科(物理、化学、生物、地学から1科目:5単位)/保健体育(体育、及び保健)。必修6科目(38単位)
◆ 要卒業単位数:85単位以上
(3) 昭和31(1956)年度実施
◆ ポイント:進路に応じたコース制の導入(科目・単位数の選択の自由度アップ)/必修教科・科目の増加など
◆ 必修教科(科目):国語(国語(甲))/社会(社会、及び日本史、世界史、人文地理から2科目)/数学(数学I:6又は9単位)/理科(物理、化学、生物、地学から2科目:6又は10単位)/保健体育(体育、及び保健)/芸術(音楽、美術、工芸、書道から1科目)、家庭(家庭一般)、農業、工業、商業、水産から6単位以上。必修10~12科目(45単位)
◆ 要卒業単位数:85単位以上
(4) 昭和38 (1963)年度実施 (告示:昭和35年)
◆ ポイント:学習指導要領の教育課程における国家基準としての性格の明確化(「改正告示」の公示)/「教科学習の系統性」を重視/基礎学力の充実、科学技術教育の向上、地理・歴史教育の改善充実、外国語(英語)の必修化など
◆ 必修教科(科目):国語(現代国語、及び古典甲又は古典乙Iから1科目)/社会(倫理・社会、政治・経済、日本史、及び世界史A・Bから1科目、地理A・Bから1科目/数学(数学I、及び数学IIA、数学IIBから1科目:9又は10単位)/理科(物理A・Bから1科目、化学A・Bから1科目、及び生物、地学:12又は15単位)/保健体育(体育、及び保健)/芸術(音楽I、美術I、工芸I、書道Iから1科目)/外国語(英語A、英語B、ドイツ語、フランス語から1科目)/家庭(家庭一般:女子のみ)。・男子=必修17科目(68単位)/・女子=必修18科目(70単位)
◆ 要卒業単位数:85単位以上
(5) 昭和48 (1973)年度実施 (告示:昭和45年)
◆ ポイント:「教育課程(学習内容)の現代化」(高度経済成長、産業構造の転換への対応)/多様化、学習内容の精選・集約(「数学一般」「基礎理科」等の新設)/必修教科・科目の削減(外国語(英語)を選択制に)など
◆ 必修教科(科目):国語(現代国語、及び古典I甲、古典I乙から1科目)/社会(倫理・社会、政治・経済、及び日本史、世界史、地理(A又はB)から2科目/数学(数学一般、数学Iから1科目:6単位)/理科(基礎理科、又は物理I、化学I、生物I、地学Iから2科目:6単位)/保健体育(体育、及び保健)/芸術(音楽I、美術I、工芸I、書道Iから1科目)/家庭(家庭一般:女子のみ)。・男子=必修11~12科目(47単位)/・女子=必修12~13科目(47単位)
◆ 要卒業単位数:85単位以上
(6) 昭和57(1982)年度実施 (告示:昭和53年)
◆ ポイント:「ゆとりと充実の学校生活」(ゆとり教育)/「知・徳・体」の調和/基礎・基本の重視、個性教育、能力・適性に応じた教育の促進/必修科目の削減、総合科目(「国語I」「現代社会」「数学I」「理科I」)の新設など
◆ 必修教科(科目):国語(国語I)/社会(現代社会)/数学(数学I:4単位) /理科(理科I:4単位)/保健体育(体育、及び保健)/芸術(音楽I、美術I、工芸I、書道Iから1科目)/家庭(家庭一般:女子のみ)。・男子=必修7科目(32単位)/・女子=必修8科目(32単位)
◆ 要卒業単位数:80単位以上
(7) 平成6 (1994)年度実施 (告示:平成元年)
◆ ポイント:「新学力観」によるカリキュラム編成と学習評価(基礎・基本の徹底と個性教育の充実、体験的・問題解決的学習の充実など)/社会科を地理歴史(地歴)科と公民科に再編/地歴と理科に2単位(地歴A科目・理科IA科目)と4単位(地歴B科目・理科IB科目)の選択必修科目を設置(選択科目制の拡大)/家庭科の男女必修化など
◆ 必修教科(科目):国語(国語I)/地歴(世界史A・Bから1科目、及び日本史(A又はB)、地理(A又はB)から1科目)/公民(現代社会、又は倫理及び政治・経済)/数学(数学I:4単位)/理科(総合理科、物理(IA又はIB)、化学(IA又はIB)、生物(IA又はIB)、地学(IA又はIB)の5区分から2区分にわたって2科目:4~8単位)/保健体育(体育、及び保健)/芸術(音楽I、美術I、工芸I、書道Iから1科目)/家庭(家庭一般、生活技術、生活一般から1科目)。必修11~12科目(38単位)
◆ 要卒業単位数:80単位以上
(8) 平成15 (2003)年度実施 (告示:平成11年)
◆ ポイント:完全学校週5日制(14年度より実施)の下、「ゆとり」の中で「生きる力」(確かな学力・豊かな心・健やかな体)を培う/「総合的な学習の時間」の導入/普通教科「情報」(新設)と外国語(英語)の必修化/学習指導要領以外の学校設定教科・科目の設置など
◆ 必修教科(科目):国語(国語表現I、国語総合から1科目)/地歴(世界史A・Bから1科目、及び日本史(A又はB)、地理(A又はB)から1科目)/公民(現代社会、又は倫理及び政治・経済)/数学(数学基礎、数学Iから1科目:2又は3単位)/理科(理科基礎、理科総合A、理科総合B、物理I、化学I、生物I、地学Iから2科目。理科基礎、理科総合A、理科総合Bを少なくとも1科目含む:4~6単位)/保健体育(体育、及び保健)/芸術(音楽I、美術I、工芸I、書道Iから1科目)/外国語(オーラル・コミュニケーションI、英語Iから1科目)/家庭(家庭基礎、家庭総合、生活技術から1科目)/情報(情報A・B・Cから1科目)。必修13~14科目(31単位)
◆ 要卒業単位数:74単位以上
(9) 平成25 (2013)年度全面実施
(数学、理科は24年度から先行実施。告示:平成21年)
◆ ポイント:「生きる力」の継承(確かな学力・豊かな心・健やかな体)/(1)基礎的・基本的な知識・技能の習得、(2)知識・技能を活用して課題を解決するために必要な思考力・判断力・表現力等、(3)主体的に学習に取り組む態度、といった「学力の要素」を明確化(学習指導要領「総則」、学校教育法改正、中教審答申)/共通性と多様性のバランス重視(国語、数学、英語に共通必履修科目を設定。理科の履修の柔軟性を向上)/言語活動の充実/理数教育の充実/外国語教育の充実/「はどめ規定」(詳細な事項は扱わない規定)の原則削除など
◆ 必修教科(科目):国語(国語総合)/地歴(世界史A・Bから1科目、及び日本史(A又はB)、地理(A又はB)から1科目/公民(現代社会、又は倫理及び政治・経済)/数学(数学I:3単位(2単位まで減可))/理科(科学と人間生活、物理基礎、化学基礎、生物基礎、地学基礎から科学と人間生活を含む2科目、又は「基礎」を付した科目3科目:4又は6単位)/保健体育(体育、及び保健)/芸術(音楽I、美術I、工芸I、書道Iから1科目)/外国語(コミュニケーション英語I)/家庭(家庭基礎、家庭総合、生活デザインから1科目)/情報(社会と情報、情報の科学から1科目)。必修13~15科目(31単位:国語・数学・英語における削減可能な減単位数を加えると35単位)
◆ 要卒業単位数:74単位以上
前掲した学習指導要領の変遷を見ると、それぞれ実施された時期によって教科学習の“偏り”が浮かび上がってくる。数学と理科に限っても、必修科目数や単位数、ここでは記載していないが、数学・理科の各科目(分野)で取り扱う範囲・内容等が学習指導要領の実施時期によって異なっている。
当調査対象者である3世代がそれぞれ学習した当時の学習指導要領の必修教科・科目、選択必修科目の最小単位数、卒業に必要な単位数などを比較してみた。(図4参照)
(1) “ゆとり以前”世代の学習指導要領
『報告:高校理科学習と所得』における“ゆとり以前”世代の対象者は、前掲の学習指導要領の変遷では、(3)の「昭和31年度~37年度実施」/(4)の「昭和38年度~47年度実施」/(5)の「昭和48年度~56年度実施」まで、3度にわたって改訂された学習指導要領の下で高校教育を受けた4,520人(3世代全体の45.3%)である。
このうち、(4)の「昭和38年度~47年度実施」の学習指導要領は、当時の戦後復興からの飛躍的な経済成長、産業革新を支える人材育成、能力・技術開発政策を背景に、要卒業単位数85単位以上、必修科目の最小単位数68単位(要卒業単位数に占める割合:80%)など、学習指導要領史上、最大級の教科学習が施された。因みに、当時期の数学の必修単位数は9又は10単位、理科は12又は15単位であった。
なお、図4には、(4)の「昭和38年度~47年度実施」の学習指導要領を提示した。
(2) “ゆとり”世代の学習指導要領
“ゆとり”世代の対象者(3,771人、3世代全体の37.8%)は、前掲(6)の「昭和57年度~平成5年度実施」の学習指導要領を受けた世代である。
この時期の学習指導要領は、昭和40年代の“詰め込み”教育、“落ちこぼれ”、“能力主義”、大学入試の“激化”(入試改善 → 共通1次試験<昭和54年~平成元年>/センター試験<平成2年~>)等々の社会的批判などを受け、必修科目、必修単位数を大幅に削減して選択科目の割合を拡大するなど、教科学習の多様化、弾力化を図り、所謂「ゆとり教育」へと方針転換したのである。
当時の要卒業単位数は80単位以上であるが、必修科目の最小単位数は32単位(要卒業単位数に占める割合:40%)で、“ゆとり以前”世代に比べ“半減”している。因みに、数学・理科の最小必修単位数はともに4単位と、大幅に削減されている。
(3) “新学力観”世代の学習指導要領
“新学力観”世代の対象者(1,696人、同16.9%)が受けた学習指導要領は、前掲(7)の「平成6年度~14年度実施」に該当する。
当時期の学習指導要領は、社会科を地理歴史(地歴)科と公民科に再編したり、地歴と理科の必修科目に2単位と4単位の選択科目を併置したりして選択履修を大幅に拡大している。
そして、体験的・問題解決的学習、自立的・能動的学習など、所謂「新学力観」によるカリキュラム編成と学習評価を図っている。
ただ、この学習指導要領はいわば「ゆとり教育」第2弾に当たり、要卒業単位数(80単位以上)、数学・理科の最小必修単位数(ともに4単位)は“ゆとり”世代と同じであり、必修科目の最小単位数が38単位(要卒業単位数に占める割合:47.5%)と、やや増加したに過ぎない。
なお、当学習指導要領の次の「平成15年度~現行実施(24年度から数学・理科は新学習指導要領へ「移行措置」)の学習指導要領(前掲の(8))では「生きる力」の育成(25年度完全実施の新学習指導要領にも継承)を柱に据えているが、今回の調査では該当者がいなかったという。
3世代それぞれの学習指導要領上の教科・科目の履修状況を俯瞰すると、高校時代に高度経済成長期を経験した第1次ベビーブーマー(「団塊の世代」)たちの教科学習を必修科目数、必修単位数、要卒業単位数において“ピーク”とし、その後は概して“軽量化”(削減、縮減、精選など)の一途をたどってきたことがわかる。
そうした学習指導要領の改訂施策が、『報告:高校理科学習と所得』で指摘されている世代間における教科・科目の得意・不得意の傾向や偏りのある学習、あるいは大卒就業者の労働市場での評価などにも関わっていることがうかがえる。
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大卒就業者の不得意教科や得意教科・科目による所得格差は、前述のような学習指導要領の実施内容に留まらず、高校での文・理分け学習にも大きく関係しているとみられる。
学習指導要領は文・理系の区別なく、高校教育における国としての共通的な基準(基準性の明確化:最低基準)であり、各学校の教育課程(カリキュラム)編成に当たっての基になる。
そして、カリキュラムは各学校の特色や地域性、生徒の学力等の発達段階や特性などを踏まえて作成される。その際、大学進学を目指す多くの高校では、2年次もしくは3年次で文・理系別のカリキュラム編成(クラス分け)を行っている。つまり、高校での文・理分けは、学習指導要領に起因するものではなく、一般には大学入試(受験)をにらんで、生徒の教科・科目ごとの学力、特に数学の得意・不得意や適性などを考慮し、効率的な学習(進路指導)に視点を置いて行っているようだ。
このことは、大学の学部(学士課程)教育と密接に関係している。
最近は入学時(1~2年次)の学部を特定しない“大くくり募集”(入試)や、文理融合型の学部設置も以前より増して見られるようになったが、依然として多くの大学では文系と理系に大別される「専門学部制」をしき、入学(入試)から卒業まで、当該学部において一貫した学士課程教育を行っている。そのため、高校での大学進学を見据えた教科学習では、大学のそうした縦割り組織に効率よく直結するようなカリキュラム編成(文系・理系に大別)が一般的である。
その結果、例えば、数学の成績によって本格的な理科を学ぶ手前で理系への進学を諦めてしまい、大卒後の進路や就業後の所得にも影響を及ぼしているのではないか。理科への興味・関心の芽を育てることによって、苦手の数学も克服させるような指導もあろう。
いずれにしろ、高校での文・理分けは、大学受験を意識した高校時代の履修科目や学習時間などの比重の掛け方の違いであって、人間の特性までを決定づけるものではなかろう。
『報告:高校理科学習と所得』は、文系出身者よりも理系出身者の方が高所得であること、高校時代に数学や理科の得意者は他教科の得意者に比べて平均所得が高いこと、特に物理や地学の得意者は理科の得意者の中でも高所得であることなどを示している。
このことは、労働市場での人材需要と得意科目の価値との関係を浮き彫りにしているといえよう。つまり、大卒就業者における文系出身者の割合が高い中で、数少ない数学や理科得意者の価値が認められている結果であろう。特に数学は経済学においても必須の教科で、金融業などでの数学得意者の需要が高まり、高所得に繋がっているとみられる。また、物理や地学の得意者の所得が高いのも、人材需要における“希少性”によるものであろう。
ところで、23年センター試験「理科」受験者(延べ人数。以下、同。63万9,963人)の科目別構成比率をみると、化学I=33.4%(21万3,899人)、生物I=29.8%(19万793人)、物理I=23.9%(15万2,739人)、地学I=3.9%(2万5,244人)などである。国公立大理系志望者にとって必須科目の一つである化学Iは、文系志望者の受験とあわせ3割を超えている。生物Iは文系志望者の受験も比較的多く、3割近くに達している。これらに対し、物理Iはほぼ理系志望者(化学Iとの2科目受験主体)に限られ、2割台前半に留まる。さらに地学I受験者はごく少数派に限られている。これらの受験傾向は例年ほぼ変わらず、大卒就業者の人材需要における理科得意科目の希少性にもつながっていよう。(図5参照)
産業界における理系人材への需要は当面維持されるとみられ、大学志願者の学部系統でも「文低理高」傾向がしばらく続きそうである。
しかし、3・11の東日本大震災や原発事故の教訓を契機に、これまでの数学や理科(自然科学)を主体とする“理系”の人材に留まらず、「人文・社会科学+自然科学」の幅広い知見をもった、所謂“文理融合型”人材の養成、需要が一段と高まっていくとみられる。そうなると、労働市場における人材評価もこれまでの理系中心から、文理融合型へとシフトしていく可能性もある。
文系と理系に大別される大学・学部の“縦割り組織”、そのアドミッション・ポリシー(入試科目等)に追随しがちな高校のカリキュラム編成(文・理分け)など、大学入試から労働市場まで、生徒や学生のアイデンティティをも決定づけてしまう大学や高校の教育・学習システムの在り方を見直す時期にきているのかもしれない。
フランスの偉人、パスカルは『パンセ』(瞑想録)で人間の特性に言及している。パスカルはものの捉え方として、明らかな原理に基づいて推論を組み立てる力、「幾何学の精神」(理系的思考)と、部分にとらわれずに全体を感性的に通観できる力、「繊細の精神」(文系的思考)との両方が大事であるという。
つまり、人間には、「幾何学の精神」と「繊細の精神」との二つを兼ね備えた、文系・理系の複眼的思考をもつ“文理融合型”の素養が求められるということであろう。