今月の視点 2011.8

大震災復興と原子力災害への取組 !

激減傾向から増加に転じた原子力学生の育成と被曝医療の充実は、 喫緊の課題 !

2011(平成23)年度

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 23年3月11日の大震災から4ヵ月半余り経った7月末、政府の『東日本大震災からの復興の基本方針』(以下、『基本方針』)が策定され、本格的な復旧・復興に向け動き出す。
 今回のような未曽有の自然災害に遭遇した際には、まず、一人一人が自分の身を守る「自助」が初期行動として基本であり、次に人々の絆によって互いに助け合う「共助」、そして国や自治体など公的機関による「公助」へと時の経過とともに再生・復興への取組を強化し、被災地におけるあらゆる機能を高めていかなければならない。
 福島第一原発事故による原子力災害は現在進行形で、時間軸・空間軸という視座が定まらない上に、目に見えない放射性物質が相手だけに人々の不安は募るばかりである。原発事故の早期収束は焦眉の急であるが、十数年に及ぶ激減傾向から増加に転じた原子力工学の学生の育成と、被曝医療における未知の診断・治療技術の研究なども喫緊の課題である。

 

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<震災復興への取組>

 

復興ビジョンの提言

 

 政府が策定した『基本方針』の骨格を提言した東日本大震災復興構想会議(議長=五百旗頭(いおきべ)真・防衛大学校長)は6月下旬、大震災の復興ビジョンを描いた『復興への提言 ~悲惨のなかの希望~ 』をまとめ、菅首相に答申した。
 提言では、(1)「大震災の記録を永遠に残して科学的に分析し、その教訓を次世代に伝承し、国内外に発信する」/(2)「地域・コミュニティ主体の復興を基本に、国は復興の全体方針と制度設計によって支える」/(3)「東北の再生のため、技術革新を伴う復旧・復興を目指し、時代をリードする経済社会の可能性を追求する」/(4)「地域社会の強い絆を守りつつ、災害に強い安全・安心のまちと自然エネルギー活用型地域の建設を進める」/(5)「大震災からの復興と日本再生の同時進行を目指す」/(6)「原発事故の早期収束を求めつつ、原発被災地への支援と復興に一層の配慮をつくす」/(7)「国民全体の連帯と分かち合いによって復興を推進する」といった7原則を復興構想の基本に据えている。
 具体的には、大災害の発生を前提に、被害を完全に封じるのではなく、被害の最小化を図る「減災」という考え方による地域づくり、基幹税を中心とする復興財源の在り方の検討、原発事故による原子力災害への国としての対応と責務、再生可能エネルギーの利用促進などのほか、被災した子どもの心のケアや教育環境の整備など「学ぶ機会の確保」などを施策のテーマとして取り上げている。

 

政府の『基本方針』

 

 菅政府の『基本方針』では、復興期間を10年間として復旧・復興の事業規模(総事業費)を少なくとも23兆円程度、当初5年間の「集中復興期間」は少なくとも19兆円程度としている。復興財源は、復興債の発行や臨時増税、歳出削減等を提示。なお、事業規模については原則として、原発事故による損害賠償における事業者の負担(経費)は含まれていない。
 具体的な施策としては、「減災」の考え方から“逃げる”ことを前提にした地域づくり/自治体向けの自由度の高い交付金制度や復興特区制度の創設/被災地への再生可能エネルギー関連産業の集積促進/子どもたちの安全・安心を確保するための学校等の立地や福祉施設・社会教育施設等との一体的整備の検討/福島県に放射線の影響に関する研究・医療施設を整備することなどを掲げ、前述の復興構想会議の提言をほぼ反映している。

 

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 ところで、科学技術立国の我が国で、最悪の原発事故が起きてしまった。そこで、まず原子力の利用や原発設置の経緯をたどり、現在のエネルギー政策の論議などをみてみよう。

 

<原子力とエネルギー政策>

 

原子力の研究開発と原発の設置

 

 資源小国である我が国で終戦後10年経った昭和30(1955)年12月、「産業・経済の敗戦からの復興には原子力」といった考え方から、原爆被爆国という不幸な体験を踏まえた上で、原子力の開発と平和利用を目的とする『原子力基本法』が制定された。
 当基本法が制定されて以降、原子力の研究、開発、利用は国の方針として推進されてきた。昭和31(1956)年6月には茨城県東海村に日本原子力研究所(平成17<2005>年から独立行政法人「日本原子力研究開発機構」)が設立され、昭和32(1957)年8月にはアメリカから導入された研究用原子炉(主要部分はアメリカ製)に我が国初の“原子の火”がともされた(臨界に到達)。研究用原子炉では、物理や化学、生物等の基礎研究やラジオアイソトープ(放射性同位体)の生産、原子力発電の商用化、国産化の研究、技術者の育成などが行われた。そして、昭和38(1963)年10月、当研究所で我が国最初の原子力発電に成功した。
 他方、昭和41(1966)年7月には東海原子力発電所(日本原子力発電会社:茨城県東海村)で初の商業用原子力発電が営業運転を開始し(当原子炉は平成10<1998>年3月に営業運転停止)、以降、石油代替エネルギー源としての原子力発電の導入が積極的に進められた。特に昭和48(1973)年の第一次オイルショックを契機に、原発は高度経済成長を支える安定した電力供給源として各地に設置された。現在、原発は全国に54基(福島第一原発を含む)設置されており、21年度時点で発電電力量の約3割を担っていた。因みに福島第一原発(東京電力)の1号機は、昭和46(1971)年3月に営業運転を開始している。

 

原発と“電力基盤社会”の脆さ

 

 福島第一原発の“深刻な事故”(国際原子力事象評価尺度で最悪の“レベル7”に相当)から4ヵ月半余りが経つ。政府と東京電力は、23年4月中旬に公表した原発事故の収束に向けた「工程表」の第1段階(“ステップ1”)、すなわち「工程表」の公表時から3ヵ月程度かけて「原子炉を安定的な冷却状態」にする目標は達成でき(循環注水冷却)、放射性物質の外部への飛散も事故当初に比べ十分に減少しているなどと総括している(7月中旬)。
 しかし、高濃度の放射能汚染水の浄化処理では度重なるトラブルに見舞われ、浄化処理の稼働率も目標を大きく下回り(7月下旬)、水素爆発で破壊された原子炉建屋(たてや)内やその周辺では高い放射線量下での作業を強いられるなど、「工程表」に示された次の目標達成時期(“ステップ1”終了後、3ヵ月~6ヵ月程度)までに“ステップ2”の「原子炉の“冷温停止”」状態に持ち込む道のりは険しい。
 今回の事故では、“安全神話”が唱えられてきた原発の事故後の対応も含めた原発技術の脆弱さとともに、発電電力量の約3割を原発に依存していた“電力基盤社会”の脆さも思い知らされている。

 

地球温暖化対策と原発

 

 昭和54(1979)年のアメリカ・スリーマイル島事故や昭和61(1986)年の旧ソ連・チェルノブイリ事故などの原発事故の影響から、1980年代~1990年代にかけ世界的に原子力開発は停滞した。しかし、2000年代に入り、地球環境問題や温暖化対策への関心が高まるにつれ、欧米を中心とする原子力利用国では、原発回帰の動きも一部に見られるようになっていた。
 こうした状況の中、我が国では地球環境対策の一環として発電段階における二酸化炭素の排出及びエネルギーとしての原子力が注目され、原発の安全性の確保を基本とする原発推進の施策が打ち出されてきた。
 『地球温暖化対策基本法案』(22年6月審議未了で廃案。同年10月閣議決定、国会上程。第177回通常国会<会期:23年1月24日~23年8月31日>で審議中)では、温室効果ガスの削減目標を定める中で原子力に係る施策を提起している。また、国のエネルギー政策の基本的な方向性を示した『エネルギー基本計画』
(22年6月閣議決定)では、電源構成に占めるゼロ・エミッション電源(当計画では「原子力及び再生可能エネルギー由来」としている)の比率を2020年に約50%以上、2030年に約70%(現状34%)としている。

 

エネルギー政策の見直し論議

 

 福島第一原発事故は、世界各国のエネルギー政策や原発に対する姿勢を改めて問うものとなっている。
 現在、104基の原発を抱えるアメリカでは、日本の原発事故を踏まえて国内の原発の安全性を確保しつつ、クリーン・エネルギーなどの観点から原子力エネルギー推進策を堅持するとしているようだ。ヨーロッパではドイツ、イタリアなどの「脱原発」の動きも伝えられているが、エネルギー事情は国によって様々で、原発政策も一様ではない。
 我が国では菅首相が23年7月中旬、今回の原発事故を踏まえ、前述の『エネルギー基本計画』を白紙撤回して計画的、段階的に原発依存度を下げ、「将来は原発がなくてもやっていける社会を実現していく」などと個人的な考えを表明。原発に対しては様々な意見がある中、菅内閣の「エネルギー・環境会議」は7月末、“原発への依存度を下げていく”方向性などを盛り込んだ『革新的エネルギー・環境戦略』策定に向けた中間整理を提示。
 いずれにしろ、我が国で起きた最悪の原発事故に目を向けるならば、国内におけるこれまでのエネルギー政策の見直し論議は当然であろう。国は産業界や経済界など各界のエネルギーに関する客観的、科学的なデータに基づいた具体的でわかりやすい施策を示した上で、幅広い議論と国民的な合意に基づいたエネルギー政策を打ち出していくべきである。

 

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<原子力人材の育成>

 

原発の海外プラント導入から自主開発へ

 

 我が国における昭和40年代(1960年代後半)の原発設置は、前述した最初の商業用原子炉(イギリス製のコルダーホール型<黒鉛減速・炭酸ガス冷却>)を除き、アメリカ製の軽水炉型(減速材に軽水を使用)を主体とする海外プラントの導入によって進められた。
 当初は、アメリカ側が設計や原子炉中心部を担当し、日本側が格納容器やタービン、発電機などの機器製造や土木建築工事などを担当するといった役割分担の形態がとられていたようだ。さらに、原子炉の保守・点検、改良等を通じて日本の技術力の向上、自主開発等に努め、国産化の実現を目ざしていく中で原子力人材の育成も図られてきた。
 その中心的な役割を果たしてきたのは、所謂「団塊の世代」といわれる“第1次ベビーブーマー”たちであった。高度経済成長のもと、彼らは原発の設計・建設から運転・保守に至るまで、大学の原子力に係る教育・研究と産業界(電力事業等)における実務を通じて原子力の技術開発とその伝承を担ってきた。

 

原発“不信”と環境変化で、十数年続いた原子力工学系学生の“激減” !

 

 前述したように、アメリカや旧ソ連で起きた世界的規模の原発事故の影響などから、1980年代~1990年代にかけて原子力開発は世界的に停滞した。
 我が国でも原子力は広島・長崎の“被爆”と結び付いて否定的に捉えられがちであることに加え、平成11(1999)年の核燃料加工施設における重大な臨界事故をはじめ、各地の原発で様々な事故が起きるたびに、原子力への不安・不信は増幅されていった。
 また、平成時代に入って情報化社会を迎え、情報・環境・エネルギーなどの分野に関心が高まる一方で、従来型の伝統的な分野を主体とする“理工系離れ”が顕在化していった。
 大学側もそうした工学系を取り巻く環境変化に対応して、工学部における学科の再編・統合(改組)に積極的に取り組んできた。
 その結果、従来の土木・建築・電気・機械などの学科に代わって、電子・情報・エネルギー・環境系の学科が台頭。原発に必須の電気・機械工学系の基礎教育は維持されたようだが、専門性の高い原子力工学系は他の学科に組み込まれて原子力系の基礎教育は縮減されていったといわれる。
 また、工学部の学科名から「原子力工学、核工学、原子炉工学」といった名称が消え、原子力分野は「エネルギー、システム、環境」などを冠する“大括りの組織”(学生募集)の中で幅広く教育・研究する傾向もみられた。(表1参照)
 このような状況を背景に、従来の原子力分野に在籍する学生数は、特に学部段階において平成6(1994)年度の約1,740人を直近のピークに、平成20(2008)年度の約90人まで一気に激減した。(図1参照)

 

“激減”傾向から“増加”傾向へ

 

 前述したような状況から、大学の原子力分野における、学生数の激減、人材育成の希薄化、研究者の減少と知見の蓄積の希薄化などが懸念されていた。
 その一方で、原子力産業の技術者数は増加傾向を維持し、海外市場に対応した技術者需要の拡大も予測されていたようだ。加えて、『原子力政策大綱』(大学等における原子力人材の育成・確保等。17年10月)などで、原子力人材の育成と確保の重要性が再認識された。
 こうした状況を踏まえ、16年度あたりから原子力関係学科(学部)・専攻(大学院)の新設の動きがみられ、その結果、21・22年度の2年連続で特に学部における原子力関係学科の学生数が急増し、“V字回復”をみせている。(図1参照)

 
地球科学分野を開設する主な大学・学部等
 

「原子力系志望」敬遠への懸念

 

 科学技術立国を標榜してきた我が国で、国内はもとより世界をも震撼させた福島第一原発の事故。事故収束に向けた「工程表」は示されているものの、想像を絶する事故処理の悪戦苦闘を目の当たりにして、時間軸・空間軸が定まらない放射能汚染への不安を禁じえない。同時に、今回の原発事故は、「人が積み上げてきた科学技術力は自然の脅威(地震・津波に加え、制御不能の原子炉)の前に一瞬にして崩れてしまう」という衝撃と畏怖の念を植えつけた。
 こうした状況で大学進学志望者、とりわけ理系志望者は将来の進路選択に際して今回の原発事故をどう捉えるであろうか。原子力災害や原子力の安全・管理などの観点から、原子力系への進学志望の低下によって、やっと増加に転じた学生数が再び減少し、原子力人材の減少、原子力分野の知識・技術の継承の弱体化、原子力技術の衰退などが懸念される。

 

原子力災害の取組に、人材育成は“不可欠” !

 

 福島第一原発の事故処理にはこの先どんな技術的な難局が立ちはだかるのか定かでなく、原子炉の「冷温停止」状態から“廃炉”までには数十年かかるといわれており、その間に様々な技術開発も必要となる。
 また、原発への取組は福島第一原発だけの問題ではない。原子力行政やエネルギー行政がどう変わろうとも、現存する54基の原発をたとえ停止させたとしても、そのまま放置しておくことはできない。使用済み核燃料の処理、放射性廃棄物の処分、原子力施設の安全強化と技術開発等、原子力に関する技術基盤の維持・向上はこれまで以上に求められる。
 原子力系に係る大学(学部・学科、大学院・専攻等)に対しては、原子力の基礎教育、専門教育・研究はもとより、社会科学も含む幅広い教養教育も身につけ、原子力分野における“想定外”の難局に立ち向かうイノベーションを創成し、実践していける“原子力人材の育成”が求められる。

 
地球科学分野を開設する主な大学・学部等
 

衰退する原子力工学の教育・研究施設への対応

 

 大学における原子力工学の衰退は、教育・研究施設の老朽化や設備不足などについても課題になっている。
 原子力工学の教育・研究では、学生の専門知識や技術の習得に、講義のほか実験・実習が不可欠である。
 しかし、大学における実験用・研究用の原子力施設は原子力の技術教育や研究の萌芽期に設置されたものも少なくなく、老朽化が進んでいるという。
 また、新規に原子力関連の施設を設置するには、地元地域の理解と信頼関係、関連産業と大学との産学連携の推進、必要な資金調達など課題は山積しており、大学の原子力工学の教育・研究の施設の維持、更新は難しいようだ。

 

早稲田大と東京都市大との「共同大学院」開設

 

 上記のような状況に対しては、自大学(学部等)だけに留めず、複数の大学がそれぞれ実施可能な教育・研究施設の整備を行い、それらを集結してさらに充実した教育・研究、人材育成を実現させる「共同教育課程」(共同学部・学科、共同大学院・研究科等の設置など)の活用、関連する研究機関との連携、関連企業等へのインターンシップなど、多面的に人材育成を図る必要がある。
 早稲田大と東京都市大は22年4月、両大学の強みを活かした共同大学院として「共同原子力専攻」をそれぞれ開設した。原子力工学の基礎基盤となる工学系と加速器理工学に強い早稲田大と、原子力安全工学に強い東京都市大とが連携して共同教育課程を設置し、原子力利用・技術を核に、安全性への倫理的規範も身につけ、原子力のあらゆる分野で活躍する人材育成を目指すという。(表1参照)

 

福島大と原子力機構の連携

 

 福島大では福島第一原発事故に対し、これまで放射線量のモニタリングなどの環境分析や自治体支援等を行ってきたが、学内には原子力に関する専門家や放射能汚染の除染・除去等の科学的成果などを有していないという。
 そのため、同大では7月下旬、原子力に関する総合的研究機関である独立行政法人「日本原子力研究開発機構」(原子力機構)と連携協定を結び、双方が保有する研究施設・設備の共同利用、研究協力、人材の交流・育成などを図り、原子力災害に関する環境復元や災害復興に貢献していくとしている。

 

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<原子力と医療>

 

放射線医学

 

 原子力は原発に限らず、医療や工業、農業など様々な分野で利用されている。
 医療への利用では一般に、レントゲン写真やコンピュータ断層撮影(CT)、磁気共鳴画像(MRI)などの画像診断部門と、がん治療などの放射線治療部門などからなる「放射線科」が診療科の一つとして病院等に開設されていることが多い。
 このような放射線医療は、医療分野において重要な一翼を担っている。

 

放射能汚染への不安

 

 福島第一原発の事故当初、破壊された原子炉建屋(たてや)などから大気中に放出された大量の放射性物質は、深刻な“放射能汚染”を引き起こしている。
 飛散直後はおもに大気や水などへの汚染が問題視されていたが、時間の経過とともにそれらの放射線量は低下傾向を示していった一方で、土壌(表土)や農水畜産物(食料品)などで基準値(暫定基準)を超える放射線量が検出されていることなどから、特にヒトの体内に取り込まれた放射性物質による“内部被曝”と健康への影響に不安が広がっている。

 

<被曝医療の体制整備>

 

“緊急被曝医療”体制

 

 原子力施設等の事故による被曝医療については、前述した核燃料加工施設における臨界事故(平成11<1999>年)を契機に、“緊急被曝医療”体制が整備されてきた。
 東日本と西日本の2ブロックに分け、東日本は放射線医学総合研究所(後述)、西日本は広島大をそれぞれ“高線量被曝患者の専門的入院診療”を行う「三次被曝医療機関」とし、各地域において、“外来(通院)診療”主体の「初期被曝医療機関」、“入院診療”主体の「二次被曝医療機関」といった被曝の度合いに応じた3段構えで、地元病院や大学附属病院等の連携、協力によって被曝治療に当たる体制が敷かれている。

 

弘前大・福井大の取組

 

 原発や原子力関連施設・研究施設が多く立地する青森県では、弘前大が青森県などと連携して「被曝医療プロフェッショナル」人材の育成に取り組み、医学部附属病院に緊急被曝医療を担う「高度救命救急センター」を設置するなど、緊急被曝医療体制の充実を図っている。
 また、敦賀・若狭地域に多数の原発を抱える福井県でも、福井大と地元自治体との連携で、これまでの医療過疎地域における「救急総合医」の養成に加え、「緊急被曝医療に強い救急総合医」の養成も行っている。

 

<福島第一原発事故を踏まえた被曝医療>

 

広島大・長崎大等の研究

 

 “緊急被曝”の治療などについては、上記のように一定の体制が構築されている。
 しかし、福島第一原発事故にみるような「“低線量の放射線被曝”の長期にわたる人体への影響」については、解明されていないことが多いという。
 こうした未知の被曝医療などの放射線障害医学の研究としては、放射線影響研究分野の中核的研究機関である広島大の「原爆放射線医科学研究所」や、現在、文科省のグローバルCOE『放射線健康リスク制御国際戦略拠点』(放射線がヒトに与える健康リスクの地球規模の究明、放射線医療科学分野の人材育成等。19年度~23年度)を展開している長崎大大学院医歯薬学総合研究科(放射線医療科学専攻)などが挙げられる。両大学とも、それぞれ広島、長崎における原爆被災者の医療などを通じた知見の集積、研究がベースにあるとみられる。
 このほか、放射線医学に関する共同研究、研究者・技術者の人材交流と育成、施設・設備の共用、連携大学院の推進などを図り、その成果を社会に還元するとともに、前述した緊急被曝医療の中心的役割を担う機関として、独立行政法人「放射線医学総合研究所」(放医研。千葉県千葉市)が設置されている。この機関では、関連する多くの大学院が連携協定を結んでいる。

 

福島県立医科大の対応

 

 原発事故の地元で被曝への不安を抱える福島県では、全県民を対象に基本調査(被曝線量の推計など)を行い、詳細調査対象者には甲状腺検査や健康診断等を行うという。
 こうした状況の中、福島県立医科大は今回の大震災と原発事故で県内唯一の医科大附属病院としての役割を果たしてきたが、さらに上記のような県民健康管理調査の実施などを踏まえ、これまでの被災地医療に加え、被曝医療と放射線健康リスク管理などに対応する体制を整えている。7月中旬には、長崎大と広島大から被曝医療や放射線生命科学の専門家二名を副学長として迎え入れ、被曝医療の実施・支援体制、研究体制の構築を進めていくとしている。

 

被曝医療体制の充実に公的財政支援を !

 

 今回の原発事故では、低放射線量の空間的・時間的な広がりによる広域・大量被曝者など、これまで経験したことがないような被曝医療に取り組んでいかなければならない。
 原発などの原子力施設周辺地域の緊急被曝医療体制の更なる充実はもとより、被曝医療の研究、治療、人材育成など、国民の健康と安全・安心に貢献する医療体制の整備は喫緊の課題である。
 今後、長期にわたる被曝医療に係る診断技術や治療技術の研究、人材育成等には国などによる公的財政支援が不可欠である。

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